会長挨拶「同窓会、その過去と現在と未来」
(2015年東高40周年記念誌向け執筆過程から改編)

堀口昌哉(1期生)

 1期生卒業式の前日1979年3月9日に発足させた八王子東高校同窓会の活動は2016年で37年目に入りましたが、私は初代会長を務め続けて来ました。代わってくれる人がいなかったとは言え、まさかここまで続けることになってしまうとは18歳のときの私には想像も出来ないことでした。長く留まることには長短両面があるため、特にこの数年は後任を育てる意識を持ち続けて来ました。しかしそれも叶わず、責任感が自らを引き留めてしまいました。ただそれが私利私欲とは縁のない無償の奉仕活動であること、これは今まで活動に従事して来た多くの仲間の存在と共に誇りに思います。結果的に生き字引となっている私に言い残せることとして、この機会をお借りして同窓会の過去現在未来を述べさせて下さい。
 
  一般的に「同窓会」という用語は学級や同期の集まりに用いられるでしょう。しかし当会のような組織としての「同窓会」はそれらも含んだ大きな集合体です。卒業生即ち同窓生が母校を巣立った後も何かしらのつながりを持つための有形無形の場を保つのがその役割であり、また同時期に在校していなかった者同士を結び付けることにも大きな意義があります。そのためには学級や同期という単位ではなく、学術や職種や趣味や地域といった括りでの交流が望まれます。その起点とすべく当会は会員名簿を発行していましたが、1998年に20期生までを掲載したものが結局最後となりました。その頃から世の中が急激に悪い方向に向かい、個人情報の流出事件が多発し始めたのです。社会の様々な組織から、本来は内部交流のためだった「名簿」が姿を消しました。当会は名簿の発行停止に加え、会員情報の項目から進路先の項目を破棄しました。これによってやむを得ず当会の存在意義は内向けにも外向けにも薄れました。
 
  入会に関する流れも変わりました。当初は「卒業=同窓会入会」でしたが、東京都からの指導によって2002年度卒の25期生からは入会希望者だけを受け入れることにしました。考えてみれば強制入会というのもおかしな話で、この方式は当然と思います。それ以降でも各期で約9割の卒業生が入会しています。逆に約1割が入会していない訳ですが、私は自由選択の結果として社会的に健全なことと感じています。但し個別入会に関連する事務作業は大きな負担となっており、運営従事者の時間と神経が削り取られることで当会の存続危機の要因にもなりました。
 
  草創期を改めて振り返ってみると、当会設立のわずか3か月後の1979年6月3日(日)に第1回定期総会を開くことができているのは入学時からの1期生の勢いそのままでした。同年秋の文化祭の日には、1期生の卒業記念樹に記念碑を建てて数十名の1期生と共に除幕式を行ないました。体育館の角からのちに移植されて現在は校舎の南側にある松の樹、そこに共にある黒の御影石は同窓会の初事業記念碑でもあるのです。
 
  それ以降も、無から始めてこその自由な発想で正に手造りで会を形成して来ました。私自身先頭に立って来たので数々の感慨があります。創立3年目の1981年に発行を開始した会報では、伝統校のそれにはなさそうな手書き投稿欄が今も続いています。実はこれは私が企画したもので、若い同窓会だったからこそのものでしょう。いろいろな行事の中では母校の体育祭における「同窓会杯」も定着しています。かつて同窓会役員会は生徒会総務との懇談会を行なっていましたが、その席で5期生の総務に対して私が用意していた提案がこの体育祭での表彰行事でした。生徒会側の歓迎を受けて学校側との手続きを進め、1982年度の母校体育祭にて総合優勝と応援賞に次ぐ第三の賞が生まれました。また「成人記念同期会」も好評の行事ですが、これは7期生から続いているものです。二十歳の集いには担任の先生方も出席を楽しみにされています。このような行事を含んだ目に見える活動が為されるのは、縁の下で日々支えている役員や委員の存在あってのことです。東高の伝統がそうであるように、同窓会の伝統もその歴史の中で先輩から後輩へ改良を重ねながら脈々と受け継がれます。同じ高校を卒業したというだけのつながりで、この活動を通して10も20も30以上も歳の離れた後輩と出会う機会がありました。私がこの会のために費やした膨大な時間は個人にとって大きな負担になりましたが、そもそも代わりに何かを得ようというつもりもないものでした。その中でこのような人と人との交流で様々な考え方に触れられたのは有意義なことだったと感じられます。
 
  歴史を積み上げた当会の今は安定期としたいところですが、その地盤は未来に向けて盤石かと言うと残念ながらそうではないです。淡々と活動を維持することが如何に大変か、それが職業でなければなおさらのことです。活動状況が厳しくなっていた頃の2011年には大震災の追い討ちを受け、いよいよ解散も考慮するほどの危機に陥りました。私を含む古参役員は今やもう限界が近いのですが、2015年に加わった新たな役員数名が今後に向けて模索を始めています。当面は同窓会自身のことで精一杯でしょうが、余力が生まれれば同窓生の中だけでのことではなく理想として母校のお役にも立てることがあるでしょう。既に1万人を優に超える同窓生が国内のみならず世界で活躍しているのですから、母校と在校生にとっての有益な支援を担える可能性は充分にあります。この部分は先輩のいなかった1期生としては羨ましい限りです。科学の発達と時代の変化による新しい手段によって、現代の人々の交流には新しい可能性が生まれています。しかし時代遅れのようであっても当会のような存在が有用な部分もまだありそうです。新しい発想を伴って旧来とは違う推進力を得られれば、2019年3月には当会も40周年を迎えることでしょう。そのときには同窓生の皆様からも東高に関わる多くの皆様からも祝福をしてやってほしいと私は願っています。
 

(2016年5月)