オリンピック以後の2試合、
 日本選手権・国体を終えて。。。

 2年半ぶりに、日本人に試合で負けてしまった。 疲れが試合後でなく、帰国後に出てきた。精神的なものが身体的な疲れ以上に身体に現れてきた。当然日本選手権は、集中できるはずもなく危うく予選落ちするところだった。結果は2位。条件が良い中で・・・。

 来シーズンで結果を出すためにも、今年最後になる富山国体は重要な意味を持った。持たせようと思った。 今年、2.1mの追い風(追い風2.0m以上は参考記録になる)で13秒58をシーズン1試合目で 出しているものの、来年の世界選手権A標準記録である13秒70を破っておらず、なんとしてもこの記録は切っておきたかった。 結果的に予選で13秒66、決勝13秒71となんとか来シーズンに向け、前向きな気持ちになれた。

 これまでオリンピックを目標にしてやってきて、そのものが終わってしまってからの気持ちも向かう方向が見えない中での2試合だった。

 実際のシドニーでは、 1次予選13秒74、2次予選13秒94と記録的に見て、納得のいかないものであったが、今回の環境条件のなかで自分のできることは精一杯やったつもりだ。 選手村の日本人選手団は意外とリラックスしている様子だった。一方で、1人1人が結果を出さなくてはならない陸上競技は、いつもと違う集団生活の中ではあったが良い雰囲気であった。同部屋は400mHの山崎さんだった。 5日前に到着し、3日前におこなったハードル練習でも、ハードルの通過タイムは明らかにベスト記録が出るであろうものであった。1週間前に左大腿部裏側の筋肉を少し痛めており、外国選手と肩を並べてのスタート練習という本番に近い状況のこの練習で、本番に向けての大方の不安は解消された。 前前日の100mの予選や準決勝の様子から、前評判どおり風が気まぐれで、トラックが柔らかい記録の出にくいトラックであることを日本選手団のみんなも認識した(初めて世界記録が出なかったオリンピックであったように)。昨年の世界選手権の時も、トラックが柔らかかった上に気温が40度近くありその条件に風が加わったものだと、自分では心の準備をしていた。 シドニーに到着した翌日から1次予選(午前10時半)に合わせ、生活のリズムを作っていくようにした〜起床が5時半。同部屋の山崎さんが試合が同じであるものの、夜の7時半ということで二人の生活時間が少しずれていたこともあり、気をつかう部分もあった。

 試合当日。
 5時半起床。外は薄暗いながらも晴れる様子。 食事後、少し休憩していつものように選手村からバスに乗ってサブトラックへ移動。8時。 まだ、身体が眠っているようであったが、身体を意識して動かしているうちに少しずつ身体も起きてきた。なかなか調子は良いようだ。40分前に召集場に集合して、20分前には最終コール。少し身体が動かせるストレートがあり、同じ組の連中がダッシュ・ハードルを始めたが、ここで事故!!決勝に残る実力のあるオランダの選手がハードルに脚を引っ掛けて、バリッという音とともに転倒。おそらく膝の外側靭帯を断裂しただろう。担架で運ばれ、嫌な空気が流れる。いつも口の多い選手だが、いつになく口数が少なくおとなしいなと思っている時だった。 自分は1次予選最後の組。 その前の組をテレビやスクリーンで確認すると、やはり通常より0.3〜0.4秒遅い様子。13秒7台で確実に残れるであろうと、少し心の余裕ができた。一回目のフライング。隣の選手につられて自分も取られる。3度目に出発。4台目ぐらいまでは、理想的なレース展開。5台目に抜き足を引っ掛けてから失速。組で5着であったが、プラスの2番目で2次予選に進んだ。 レース後、ドーピングの検査で約1時間半。マラソンの交通整理とじいさんがバスの運転手で道を間違え1時間を使い、試合が終わってから選手村につくまでに3時間近くかかった。これにはかなり参った。

 夜8時半。
 プラスのためレーンは最悪の1レーン。条件を自分で作り出せなかったことが結果的に敗因だったのだろう。左側のエンセキを踏まないか、不安があったが、雨・風の悪条件以上にレーンの水溜りが反射してほとんどハードルが見えない中でのレース。サングラスもあったが、小雨が降っていたためつけなかった。 何がなんだかわからない中で走らされているような・・・。 インタビューにも言い訳をしたくないため、何も答えにならなかった。

たにがわ しるす